お宝シリーズ−7 1975年苗場WC・SL | STAFF BLOG

お宝シリーズ−7 1975年苗場WC・SL

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皆さん、古い写真ですが1975年苗場WC・SLの写真です。

 

苗場では1973年日本で初のアルペンWCが開催されました。

両大会4レースに参加していますが思い出に残っているのが写真のSLです。

この日は大雪でSLの斜面の除雪が大変だったため女子コースに変更になり開催されました。

天気が良い日だったのでセーターに無帽、ゴーグル無しでした。(笑い)

新雪が降って硬い斜面に覆われていたので30cmほど掘れるコースコンデションです。

滑っている場所は急斜面の後半で確か2本目だったと思います。

1本目は掘れているコースのリズムに乗って滑ったので思ったより良いタイムでした。

資料が無いのでタイムや1本目の順位は分かりませんが、気分良く2本目に望むことが出来ました。

 

使用しいるスキーは先日紹介したカザマスキーがアメリカで作らせた「ハニカムスキー」です。

どんなアイスバーンでも横ズレしにくくスキーを縦にして滑れるスキーでした。

2本目のインスペクションしているとき、私の上にオーストリア監督・トニー・ザイラー氏がいて私のスキーを興味深く覗いていました。

私にとって、また世界中のスキーヤーの憧れトニー・ザイラー氏がそばにいたのでコース脇にいた知っているカメラマンにこっそりツーショットの写真を撮ってもらいました。(笑い)

 

ブーツはカベールの「コンペS」世界の名器はどんなコンデションでも私の意思をスキーに伝え、雪面から受けた情報を的確に教えてくれた私の分身です。

 

ウェアーはデサント、当時はナショナルチームウェアーが無かったので各自がメーカーのウェアーを着ていました。

写真3枚目はポール(竹ポール)に左腕が当たっています。

ポールに当たる場所は上腕真ん中の外側1点です。

右腕も同じ場所でガードするものが無かったので皮膚が破けて穴となって血が出ます。

他の選手も同じで何とかして防ごうとしてスリッパを付けたこともあります。(笑い)

今年からWCは日本ナショナルチームウェアーが統一されたようですね。

 

皆さん、お気づきと思いますがスキーの先端に着いているのが当時日本で流行していた「パラブラック」スキーのクロス止めです。

懐かしと思われる方もいると思います。

 

 

 

 

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1本目に気持ちよく滑れたので2本目はリズムに乗ったら理想のラインより内側狙う作戦でした。

急斜面に入る前でリズムに乗れたので急斜面に思いっきり入り内側を狙いました。

急斜面から中斜面の移行部分もラインより内側に入ってゴールでした。

トータルで22位、日本開催だったので出られたレースの成績ですが私にとっては人生最高のレースでした。

 

この大会で柏木正義選手(柏木デモの父親)は10位に入り日本人初のWCポイントを獲得した記念すべき大会となりました。

海和俊宏選手は1本目10位以内に入り2本目期待されましたが確か12位だったと思います。

日本がWCで記録を残し世界で戦えると認識できたレースがこの大会です。

 

1973年、1975年と2度の大会4レースに出場しました。

大雪でもレースを中止せず開催できたのは、全国からの役員と地元新潟県スキー連盟、湯沢町スキー連盟など私の所属する連盟の方々が昼夜を問わずコース整備してくれました。

その努力は日本人が世界に認められる完璧さです。

知っている人々が作ってくれたコースで自分の滑りが出来たことは選手として感謝、感激でした。

 

WCを見て将来の選手を目指す子供達が夢、目標を持ってもらいたいと思います。

2016年の苗場WCに沢山の子供やギャラリーがレースを見て興奮しました。

私もお客様と一緒にワインやビールも楽しみながらレースを観戦、日本人選手、外国人選手を応援しました。

2020年も苗場になると思います。

ぜひ、皆さんと一緒に世界最高峰のWCレースを応援に行きギャラリーとしてレースを楽しみましょう。

 

 

 

トニー・ザイラー氏とのツーショット写真が見つかりました。

苗場・女子コース急斜面の中間だったと思います。

インスペクションしていた私の上に来てジーと見つめていたとき知り合いのカメラマンに撮ってもらいました。

多分、私のスキーとパラブラックに興味があったのでしばらくこの状態が続いています。

カラー写真なのでウェアーの色が分かりますが、一つだけ共通点がありストックはオーストリア製です。

当時の日本製は折れやすくこのストックを使っていました。

(ストックと言ってもヨーロッパでは通用しません。ポールまたはステッキです)ね、ワカさん

 

もう一つ、ポールは竹で赤と青のフラッグが付いています。

私が小学校の頃は赤、青、黄色の3色でした。(笑い)

フラッグは顔に当たってレースに支障をきたすため廃止になり、プラスチックのポールが出てさらに可倒式になって今日に至っています。

 

トニー・ザイラー氏は1965年コルチナ・ダンペツオオリンピックにて回転、大回転、滑降の金メダルを獲得して初の三冠王を達成した偉大な選手です。この大会で猪谷千春氏は回転で銀メダルを獲得しています。

22歳で選手を引退後、映画俳優、歌手として活躍「黒い稲妻」「白銀は招くよ」は世界中でヒットし、日本映画「銀嶺の王者」にも出演しました。

映画を食い入るように見て一番感動したのは、小さなアコーディオンを弾きながら滑るシーンです。

こんなことが出来るんだー、と思わず叫びそうになったことを記憶しています。

 

1970年代はオーストリアの監督として国民の期待に応え、競技会の会議が紛糾したとき最後に意見を求められるほどスキー界では重鎮として知られています。

2009年に73歳で亡くなっています。(Wikipedia参考)

私が小学生から憧れ夢に見たスキーヤーはトニー・ザイラー氏でした。

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