STAFF BLOG

お宝シリーズ−8 遅いものは 安全ダーー

 

皆さん、お宝シリーズ−8は以前ご紹介した私のサインです。

 

1970年80年代はデモ、コーチ、そしてスキー教師をしながら全国各地に出張し大勢の方々とお会いしました。

その際、サインを依頼されて書いています。

ほとんどが「速いものは 美しい」です。

 

「速いものは 美しい」の言葉の由来は、大学時代に日本人初のアルペンスキーの銀メダリスト・猪谷千春氏の講演を聴いて感銘を受け5年ほど経過して考えついたのです。

猪谷氏はアメリカに留学中、学業が忙しくトレーニングの時間が無いためスキーの成績が落ちてしまい、自分を取戻すため誰よりも美しく滑ってアピールした結果、スキーの成績が伸びてメダリストになったそうです。

 

講演での話は私の中で熟成され「速さ」と「美しさ」のキーワードとなりました。

大学、カザマスキーとレースを続けていたとき、私よりパワーのある選手、テクニックが優れている選手が周りにいました。

パワーやテクニックで対等に戦っては叶わないと感じていた時、「美しさ」は常に頭の中にありました。

また、速さの象徴となる戦闘機やスーパーカーなどは、無駄を省き極限まで速さを追求した形は美しく憧れでした。

 

デモに転向した頃は、キーワードの「速さ」「美しさ」はどちらも私の滑りを表現するのに欠かせないものになりました。

サインを頼まれる頃にどのような言葉を利用するか悩みましたが、最終的は「速いものは 美しい」に決定しました。

 

 

写真は私にとって大切なお客様の一人Wさんに書いた私のサインです。

「遅いものは 安全ダーー」

この言葉の由来もあります。

以前ご紹介した八海山の平川氏が「速いものは 美しい」を掲げていた私に皮肉交じりに「遅いものは 安全だ」と話したのです。

この言葉を聞いてこのワードをいつかは使えないかと虎視眈々に待っていました。

 

Wさんとは長い間柄なので性格やスキー技術は熟知していました。

毎回レッスンに参加すると最初は良い滑りを見せてくれます。

アドバイスすると真剣に考え込むタイプでだんだんスピードが落ちてしまいます。

虎視眈々だった私はここぞとばかり「遅いものは 安全ダーー」 サインしました。

最初はWさん、ガッカリだったようです。

しかし、このサインは2回か3回しかサインしていません。

貴重であるかは人によって判断の違いがあると思いますが、サインした私にとって貴重で思い出深い出来事でした。

 

Wさんはキャンプ中の「コババー」の生みの親です。

月山キャンプが始まった頃、朝から夜のミーティングまで働いているスタッフに気遣い、ミーティング後はお酒を飲める場を提供してくれればスタッフは休んでください、と言ってくれました。

これが「コババー」の始まりです。

「コババー」によって知らないお客様の間に和が生まれたのです。

この和によって今でもキャンプに参加してくれるお客様が意外と多いのです。

Wさんは私にとってお客様でありスキー仲間の一人です。

 

 

小林平康

↑ このページのTOPへ

ヒンタートックスと飛行機

 

皆さん、今日は今月16日に出発するヨーロッパスキーツアーの準備をしている際に見つけた面白写真を紹介します。

 

毎年行くヒンタートックスで昨年、写真撮影しているときに突然轟音、上に飛行機2機、それもクロスするアクロバット飛行です。

20回目のツアーでしたがこんなシーンは初めてでした。

飛行機の下に写っている緑色の現地人二人もビックリしています。

 

拡大すると飛行機はプロペラ機です。

同じグレーのペイントなので軍用機です。

この間隔と高低差でスレスレでクロスすると思うとゾーーとします。

 

スキーでもフォーメーションをするときスキーとスキーが触れ合うほど接近するときがあります。

思い出すのは野沢インタースキーの時、私はコーチだったのでデモのフォーメーションの時は、最高のスピードで最高の技術を見せろう、と言って無理難題をデモに要求しました。

なぜなら、相手に合わせようとするとスピードを落とし相手のリズムにしようとして最高の技術からかけ離れた滑りになるからです。

 

オーストリアの伝統でデモがインタースキーで見せるフォーメーションはスレスレではありません。

スキーがぶつかるので飛んでクロスするのが当たり前です。

クロスする瞬間は切り換えのタイミングなのでほとんどエアーターンです。

これを日本のデモにも要求したので私はだいぶ嫌われました。(笑い)

 

上の飛行機もオーストリアのデモも半端なくクロス好きですね!!!!!!!!

 

 

小林平康

 

 

↑ このページのTOPへ

スノーメンバー受付開始とコメント

皆さん、11月に入りましたね。

 

各地から雪の頼りが届きシーズンが近いことを感じる季節になりました。

中里スキー学校は11月1日からスノーメンバーの受付を開始し本格的な準備をしています。

スノーメンバーに加入したい方はご利用ください。

 

この頃、皆さんから今年の雪はどうですか?

と、聞かれます。

毎年の会話ですがこれが季節を肌で感じるフレーズとなっています。

 

事務所に問い合わせで12月何日に行きますがレッスンは受けられますか?

年に2.3回同じ問い合わせがあります。

答えは、雪があれば受けられますが無いと受けられません。

と、返事しても納得しない方も時にいます。

皆さんは、ご存じでも人工雪と天然雪の雪事情を知らない方もいます。

このような雪や冬を知らない方が、私たちスキー学校やスキー業界を支えてくれているので納得するまで説明しています。

最後は、あーなるほど。。。と言ってくれます。

この会話が出ると準備が遅れている私は慌ててしまうのです。

 

 

 

コメントについて

ブログに変わってから1ヶ月経ちました。

記事を書くのは分かってきましたが、写真を載せて配置するのにまだ悪戦苦闘しています。

すでに長い記事を3回ロストしました。(笑い)

 

この頃、以前の掲示板とブログの大きな違いを感じています。

掲示板は双方向でしたがブログはどちらかというと私からの活動報告やお知らせだけになっています。

そこで皆さんに「コメント」を利用して頂きたいのです。

タイトルの右横にcomments(0)コメントを投稿する

があり、コメントを投稿するを選択しここから皆さんの意見や活動報告などを載せることが出来ます。

ただ、コメントを投稿してもブログの表面に出てこないので見るにはブログ上部にある「コメント」かcomments(2)を押して見ます。

 

すでに利用している方やご存じの方、また知らない方にぜひコメントを載せてください。

以前は皆さんがコメントと写真を同時に載せられましたが、ブログは写真が直接載せることが出来ないようです(詳しいことが分かりません)

記事や写真をブログに載せたい場合は、皆さんから頂いたコメントと写真を私が代わりに「誰々さんからのコメントと写真です」

とブログに載せますのでぜひご利用ください。

 

 

小林平康

 

↑ このページのTOPへ

お宝シリーズ−7 1975年苗場WC・SL

IMG_9209.jpg

皆さん、古い写真ですが1975年苗場WC・SLの写真です。

 

苗場では1973年日本で初のアルペンWCが開催されました。

両大会4レースに参加していますが思い出に残っているのが写真のSLです。

この日は大雪でSLの斜面の除雪が大変だったため女子コースに変更になり開催されました。

天気が良い日だったのでセーターに無帽、ゴーグル無しでした。(笑い)

新雪が降って硬い斜面に覆われていたので30cmほど掘れるコースコンデションです。

滑っている場所は急斜面の後半で確か2本目だったと思います。

1本目は掘れているコースのリズムに乗って滑ったので思ったより良いタイムでした。

資料が無いのでタイムや1本目の順位は分かりませんが、気分良く2本目に望むことが出来ました。

 

使用しいるスキーは先日紹介したカザマスキーがアメリカで作らせた「ハニカムスキー」です。

どんなアイスバーンでも横ズレしにくくスキーを縦にして滑れるスキーでした。

2本目のインスペクションしているとき、私の上にオーストリア監督・トニー・ザイラー氏がいて私のスキーを興味深く覗いていました。

私にとって、また世界中のスキーヤーの憧れトニー・ザイラー氏がそばにいたのでコース脇にいた知っているカメラマンにこっそりツーショットの写真を撮ってもらいました。(笑い)

 

ブーツはカベールの「コンペS」世界の名器はどんなコンデションでも私の意思をスキーに伝え、雪面から受けた情報を的確に教えてくれた私の分身です。

 

ウェアーはデサント、当時はナショナルチームウェアーが無かったので各自がメーカーのウェアーを着ていました。

写真3枚目はポール(竹ポール)に左腕が当たっています。

ポールに当たる場所は上腕真ん中の外側1点です。

右腕も同じ場所でガードするものが無かったので皮膚が破けて穴となって血が出ます。

他の選手も同じで何とかして防ごうとしてスリッパを付けたこともあります。(笑い)

今年からWCは日本ナショナルチームウェアーが統一されたようですね。

 

皆さん、お気づきと思いますがスキーの先端に着いているのが当時日本で流行していた「パラブラック」スキーのクロス止めです。

懐かしと思われる方もいると思います。

 

 

 

 

DSC04141.JPG

 

1本目に気持ちよく滑れたので2本目はリズムに乗ったら理想のラインより内側狙う作戦でした。

急斜面に入る前でリズムに乗れたので急斜面に思いっきり入り内側を狙いました。

急斜面から中斜面の移行部分もラインより内側に入ってゴールでした。

トータルで22位、日本開催だったので出られたレースの成績ですが私にとっては人生最高のレースでした。

 

この大会で柏木正義選手(柏木デモの父親)は10位に入り日本人初のWCポイントを獲得した記念すべき大会となりました。

海和俊宏選手は1本目10位以内に入り2本目期待されましたが確か12位だったと思います。

日本がWCで記録を残し世界で戦えると認識できたレースがこの大会です。

 

1973年、1975年と2度の大会4レースに出場しました。

大雪でもレースを中止せず開催できたのは、全国からの役員と地元新潟県スキー連盟、湯沢町スキー連盟など私の所属する連盟の方々が昼夜を問わずコース整備してくれました。

その努力は日本人が世界に認められる完璧さです。

知っている人々が作ってくれたコースで自分の滑りが出来たことは選手として感謝、感激でした。

 

WCを見て将来の選手を目指す子供達が夢、目標を持ってもらいたいと思います。

2016年の苗場WCに沢山の子供やギャラリーがレースを見て興奮しました。

私もお客様と一緒にワインやビールも楽しみながらレースを観戦、日本人選手、外国人選手を応援しました。

2020年も苗場になると思います。

ぜひ、皆さんと一緒に世界最高峰のWCレースを応援に行きギャラリーとしてレースを楽しみましょう。

 

 

 

トニー・ザイラー氏とのツーショット写真が見つかりました。

苗場・女子コース急斜面の中間だったと思います。

インスペクションしていた私の上に来てジーと見つめていたとき知り合いのカメラマンに撮ってもらいました。

多分、私のスキーとパラブラックに興味があったのでしばらくこの状態が続いています。

カラー写真なのでウェアーの色が分かりますが、一つだけ共通点がありストックはオーストリア製です。

当時の日本製は折れやすくこのストックを使っていました。

(ストックと言ってもヨーロッパでは通用しません。ポールまたはステッキです)ね、ワカさん

 

もう一つ、ポールは竹で赤と青のフラッグが付いています。

私が小学校の頃は赤、青、黄色の3色でした。(笑い)

フラッグは顔に当たってレースに支障をきたすため廃止になり、プラスチックのポールが出てさらに可倒式になって今日に至っています。

 

トニー・ザイラー氏は1965年コルチナ・ダンペツオオリンピックにて回転、大回転、滑降の金メダルを獲得して初の三冠王を達成した偉大な選手です。この大会で猪谷千春氏は回転で銀メダルを獲得しています。

22歳で選手を引退後、映画俳優、歌手として活躍「黒い稲妻」「白銀は招くよ」は世界中でヒットし、日本映画「銀嶺の王者」にも出演しました。

映画を食い入るように見て一番感動したのは、小さなアコーディオンを弾きながら滑るシーンです。

こんなことが出来るんだー、と思わず叫びそうになったことを記憶しています。

 

1970年代はオーストリアの監督として国民の期待に応え、競技会の会議が紛糾したとき最後に意見を求められるほどスキー界では重鎮として知られています。

2009年に73歳で亡くなっています。(Wikipedia参考)

私が小学生から憧れ夢に見たスキーヤーはトニー・ザイラー氏でした。

↑ このページのTOPへ

お宝シリーズ−6 ターンを極めるDVD

DSC04172.JPG

 

皆さん、お宝シリーズ−6は2006年に制作されたDVDです。

ブログをご覧の皆さんも購入して頂いたDVDです。

スキージャーナル紙が企画、制作、販売しました。

撮影と編集は乙丸氏のOTTO’Sです。

場所はアメリカ・オレゴン・Mtバチュラー。

DVDには嶺村聖佳さん、丸山貴雄君、井山敬介君、片山秀斗君、佐藤久哉君が登場しています。

 

DVDのサブタイトルは「シンプルでナチュラルなターンを目指して」です。

当時の私の指導方法がシンプル・ナチュラルだったのを表現しました。

どんなコンデションでも滑れるスキー技術を探求していた頃で一番効率の良い滑りを求めていました。

技術編の方法は今でもレッスンで活用しています。

また、スキーの可能性編ではスキーが出来る操作を可能な限り紹介しました。

この可能編はスキーの楽しさ、ご自分の限界を高める要素が沢山盛り込まれているので皆さんも活用してくれています。

 

DVDを作るとき発案した仕掛け人が二人います。

仕掛け人が乙丸氏に相談、乙丸氏がスキージャーナル紙に話を持ちかけ実現しました。

二人とは広島・ベルグシローのクリスさんとヨーコさんです。

当時55歳だった私の滑りを残したい、DVD制作のキッカケです。

私のスキー技術の理解者だった二人の発案が無ければDVDはこの世に存在しません。

 

このDVD制作にはスキージャーナル紙の齊藤氏、撮影の乙丸氏など沢山の現場担当者が尽力してくれました。

担当してくれた皆さんに改めてお礼を申し上げます。

 

 

 

クリスさんとヨーコさんと知り合ったのは38年前です。

最初は仕事で10年ほど、それからは友人として30年近くになります。

同じ二人との関係があるのが八海山スキースクールの平川仁彦氏です。

ベルグシロー主催のスキーセミナーに私と平川氏は36回開催しています。

他にも秋のスキー試乗会、お客様とクルーザーでスキーパーティー、先日紹介した広島オフトレーニングも二人が仕掛け人でした。

私も平川氏も広島のスキーヤーとスキーで繋がっています。

多くの思い出が広島にあります。二人は私にとって友人であり恩人です。

_1485973480446.jpg 1540684052395.jpg

2017年の平川氏と合同のセミナーでした。一番右が平川氏、青のウェアーの右がクリスさん。ミズホスキー場・ビーチ。

ミズホスキー場にはメインのチェスナット、超急斜面のビッグモーニング、レッスンに最適なタタミなど変化があり楽しいスキー場です。

 

 

 

ベルグシローのお店は広島白島の住宅街にあり、近くにはイタリアレストラン・ガビアーノがあります。

広島のスキーヤーにスキー界の最新情報を提供して信頼されています。

プロショップに相応しく展示している商品は1点物や海外ブランドも多く夢を買うような雰囲気があります。

ベルグシローのユーザーは上の写真でも分かるようにどこにいても分かります。

店の中はおとぎの国ような展示方法で私も衝動買いしてしまうほどです(笑い)

クリスさんはスキーやブーツなどのグッズ担当、インラインスケートのインストラクターです。

ヨーコさんはウェアーや小物類担当で私のスキーウェアーはヨーコさんが。選んでくれます

地元のお客様から中里スキー学校のお客様は通販を利用し、中にはお店に買いに行く方もいます。

 

 

おとぎの国ようなお店です。

 

スキーウェアー

商品は少ないのは指名買いが多いからです。 

 

スキー用品・インラインも 

インラインは夏にクリスさんが講習会を開いています。

 

↑ このページのTOPへ

お宝シリーズ−5 スキージャーナル表紙

DSC04105.JPG

 

皆さん、スキージャーナルは昨年末に休刊となってしまいましたね。

 

私の世代のスキーヤーはスキージャーナルの表紙になることが憧れでありステータスと思っていました。

この表紙は1976年4月、熊ノ湯スキー場で先に紹介した武山 登氏の作品です。

この年のデモ選チャンピオンは丸山隆文氏です。

私にとって競技スキーの先輩であり、現役で活躍している丸山貴雄デモの父親です。

チャンピオンが表紙になるのが当然と思われていた時代だったので、私は表紙の撮影依頼にびっくりした記憶があります。

 

初めての撮影で緊張していたホテルに武山氏が登場、まったく違う雰囲気の人に出会って戸惑いを感じたことを覚えています。

熊ノ湯スキー場は雪解けが早かったため急斜面が滑れず、中斜面での撮影でした。

深回りは不自然なので浅い回転弧なっています。

デモ選は八方尾根スキー場でこんなに接写することは不可能です。

さらにバックが青空、ありえません。

表紙の撮影だけに特化したので出来た表紙です。

履いているスキーは当時カザマがアメリカのメーカーに作らせていた「ハニカムスキー」です。

ブーツはカベール「コンペS」ステンマルクや海和選手が使用していた世界の名器です。

ウェアーはデサントに作ってもらいました。

赤色の入ったウェアーは珍しく私らしく無いと思っていました。

 

DSC04106.JPG

スキージャーナル紙の表紙に私は7回登場しています。

だいぶ前ですがスキージャーナル紙何?周年記念に出席し、創刊号からの表紙を数えたら7回が一番多く、次は5回だったと思います。

あれから10数年なのでどうなったか分かりませんが、7回の記録に密かに満足していました。

なぜ多かったかの謎解きは簡単、ご紹介したスキー映画4本の内3本に武山氏が同行してアメリカ、ヨーロッパ、ニュージランドで撮影しているのです。

撮影は1ヶ月単位の長さなので良い写真が撮れるチャンスがありました。

当時のスキージャーナル社長から小林君の登場が多いね、と言われたことがあります。

表紙撮影やスキー映画、ポスターなど露出の多い撮影は時間と忍耐が必要です。

7回の表紙の大部分が武山氏なのです。

タケさんお元気ですか!!!!!

 

ちなみに私の手元にスキージャーナル紙は1冊もありません。

この2冊以外の表紙をお持ちの方がいましたら教えてください。

宜しくお願いします。

 

 

小林平康

 

↑ このページのTOPへ

お宝シリーズ−4 カザマスキーポスター

DSC04143.JPG

 

皆さん、今回はカザマスキーが全国のスキーショップに配布・展示していたポスターをご紹介します。

 

ご覧のポスターは横長で当時としては斬新な形でした。

実はこのポスターは私のお気に入りで保存していたのですが、引っ越しなどで無くなってしまい残念と思っていたのです。

今回大阪オフトレで私の姉夫婦がやっているペンション・ボーゲンのTさんが保存していたのです。

長い間ペンションに張っていたので痛みもあります。

しかし、久しぶりに見たとき感動しました。

 

写真としてはインパクトはありませんが撮影中の様々なことが蘇ってきました。

場所はシャモニー・氷河の中です。

バックはクレパスのような壁があり、棚を滑ってから絶壁に飛び込む瞬間です。

DSC04157.JPG

当時、スキーショップとしては横長のためメインの場所を避けて壁の上部分に張っている所が多かったのを記憶しています。

下から見ていると落ちてくる自分を想像して悦に入っていました。(だれも気づかない快感)

このポスターは私にとってお宝そのものです。

 

 

 

 

DSC04160.JPG

こちらのポスターはアメリカ・アスペンで「ハローアメリカ」スキー映画の撮影中の1カットです。

確かコブに新雪が積もっているコンデションで突き上げるショックを想像して滑っていました。

想像が当たっていると快適な滑りになりますが、外れると転倒もあります。

気持ちよく滑っていると受けるショックでエアーターンが出来ます。

コブを滑っているとき、雪面にいる時より空中にいる時間を長くしたいという考えがありました。

乙丸氏と日本で撮影中、トライしてみました。

何度も失敗して最後の1本はコブに恵まれて出来たのです。

あとで編集中にタイムを計りました(笑い)

 

ちなみに2枚のポスターは武山 登氏の作品です。

武山氏とはデモに選考され1976年春、熊ノ湯で後日紹介するスキージャーナル紙の表紙撮影のカメラマンであり、私が初めてお付き合いしたスキーカメラマンです。

 

 

 

ご紹介したい恩人がいます。

スキー界の方はご存じの方が多いと思いますが、カザマスキーの部長で札幌オリンピックコーチ、そして中里スキー学校の創始者の大出敏水氏です。

大出さんとは公私とも長い時間お付き合いさせてもらいました。

ご家族の皆さんにもお世話になりました。

私が社会人として一人前になれるように道を開いてくれました。

デモに転向するキッカケを作ってくれました。

デモで成功するにはチームに溶け込む必要があるとゴルフも教えてくれました。

これまで紹介したお宝のスキー映画、雑誌、ポスターなどのゴーサインを出してくれました。

本当に長い間親身になって私をバックアップしてくれました。

大出さんはスキー界で多くの方から信頼されたのは人柄です。

誠実で親しみやすくお茶目な大出さんは2012年12月に亡くなってしまいましたが、私にとって大恩人です。

↑ このページのTOPへ

広島オフトレーニング

 

20181021_095807.jpg

 

 

皆さん、昨日まで広島オフトレーニングでした。

土日とも快晴で気持ちの良い汗を流しながらのオフトレーニング、広島の皆さんお疲れ様です。
大阪オフトレーニングと同様のテーマで広島の皆さんも新鮮な感覚だったようです。
毎年参加している方の動きはスキーそのものです。
綺麗な円運動で滑っているときの抵抗をイメージしているのでスキーの動きに見えるんですね。
広島は美味しい食べ物もあるので楽しみは倍増です。
今回も初日の夕食、土日の昼食はイタリアンレストラン・ガビアーノです。
この時期だけのサンマのペペロンチーノは絶品、ナス揚げのボロネーゼなど美味しいものばかり。

NEC_8280.JPG

 

土曜日は懇親会で焼き肉の西三代、ここの店にはコウネという焼き肉がありこれも絶品です。
18人で食べるのでお店の方も大忙しでした。

20160726_194646_001.jpg

 

 

広島オフトレーニングには私より年上の方が二人参加してくれます。
お二人とも馴れない動きに挑戦し日曜日の午後にはスキーのバランスになってきました。
馴れている人も小さい動きを調整すると一段とスキーらしくなります。
広島は毎年、スキーショップのベルグシローさんが主催してくれます。
後ほどお宝にも紹介しますが、お店のクリスさんとヨーコさんは私の友人です。
今年も大変お世話になりました。
有難うございます。
広島の皆さん、今後は来年2月のセミナー雪上でお会いしましょう。
小林平康

↑ このページのTOPへ

お宝シリーズ−3 写真作品

DSC04151.JPG

 

 

 

皆さん、お宝シリーズ3は写真作品です。

 

基礎スキーに転向してから数年後にスポーツカメラマンの水谷章人氏に出会いました。

水谷氏はスキーだけに限らずスポーツ全般、山岳など写真家として世界的に知られています。

 

山小屋にこもり天気を待ち1枚の写真のため。

時間と空間、太陽と影、雪が織りなす自然現象、風景を変える風、など自然の中にスキーヤーという人間を表現するのが水谷氏の撮影手法です。

スキー写真の個展も開き私もモデルとして出してもらいました。

世界が認める写真、人間の感性を刺激する写真、スポーツの神髄を表現する写真。

 

期間中に沢山の話をしてくれました。

自分のことから世界のこと、小さいことから大きなこと、写真を通して世界を見てきた水谷氏の話は私のスキー人生の指針を与えてくれた恩人です。

 

 

 

上の写真は雑誌、ナンバーに掲載するため八方尾根スキー場で撮影した1枚です。

撮影場所はだれも滑らないオフピステ。

グリーンのワンピースはデサント製で水谷氏から依頼の特注品。

人間の筋肉を見せたいと極薄の生地で出来ています。

私も渾身の1滑りです。

 

 

 

 

水谷氏が私を紹介してくれた雑誌の記事です。

 

IMG_9205.jpg

 

 

 

 

↑ このページのTOPへ

お宝シリーズ−2 スキー映画

 

 

 

皆さん、お宝シリーズ2はスキー映画の話です。

 

私が基礎スキーに転向したのが1976年です。

当時はスキーが流行して全国各地でスキー映画会が行われていました。

スキーメーカーはこぞって映画を作成し映画会で上映し自社のスキーをアピールしていたのです。

今では考えられないことです。

 

私が所属していたカザマスキーも映画会で上映するため4本の映画をフエダプロダクションに依頼し作成しました。

1本目は「躍動」2本目は「ハローアメリカ」3本目は「ホワイトジェット」4本目は「スーパースキー」

1本目はフエダ社長が自らカメラを回しくれました。

2本目以降は私からのリクエストで乙丸氏に依頼しました。

 

乙丸氏は当時新進気鋭のムービーカメラマンで高速で滑るスキーヤーの細部まで鮮明に捉えるテクニックを持っていたのです。

現在も現役で活躍しています。

 

私は乙丸氏と長い間撮影を通してスキーを演出するテクニックを教わりました。

いわゆる「見せるスキー」です。

彼は普通の滑りをすると満足しないタイプで無理難題を押しつけてきます。

お前なら出来るから、と言うので難題をクリアするためあらゆる工夫をしました。

私の可能性を引き出してくれた恩人です。

 

この見せるスキーを身につけたので私は今でも現役のスキー指導者としていられます。

乙丸氏は私より少しですが年上です。

しかし、私は彼に敬語を使いません。

なぜなら物作りに先輩、後輩の区別はない環境で仕事したせいでしょう。

恩人でありながら友人です。

 

小林平康

 

↑ このページのTOPへ